ともも人物図 【アーティスト 鈴木 貴博さん】自然な流れに乗って「生きろ」が広がる (190号)
この秋に船坂の畑で12年ぶりに開催した「生きろ村」。コロナ禍を乗り越え新たな活動へ向かう手応えを覚えたという鈴木貴博さん。「生きろの人」と呼ばれるアーティストの活動を聞いてみました。
■船坂で「生きろ村」?
コロナ禍でいろんなことが制限されたこともあり2年前から仲間と農作業をしています。最初は普通に畑を使っていたのですが、そのうち船坂ビエンナーレの時からの縁でその畑を貸していただいている地主さんへの感謝も含め、何か面白いことが出来ないかなぁと思うようになりました。そして、「生きろ村」という看板をかかげ畑のイベントを企画。12年前の「生きろ村」のコンセプトは何もない所からものを生み出すことでしたが、今回は、アート作品を展示したり、芋掘りをしたり、バーベキューをしたり、ライブ・ペインティングをしたり、集まったみんなで「生きろ」を書いたりもしました。
■「生きろ」の活動って何?と言われるでしょう。
一言で説明するのは難しいですね。最近、You Tubeに「生きろの人の話」という動画をアップしたので、興味のある人には是非それを見て欲しいです。25年間続けてきた「生きろ」の活動を絵本風にまとめたものです。娘にナレーションは頼みました。同じチャンネルで「生きろ」を書く動画も毎週配信しています。
■絵本の主人公になったわけですね。
そうですかね。混沌とした時代の中、25年間毎日「生きろ」を書いているんですが、最初にそれをやろうと思った時、そんな物語に出てきそうな人物が実在したら面白いな、と思いました(笑)。ミヒャエル・エンデとヨーゼフ・ボイスの対談も「生きろ」を始めるヒントになりました。物語とパフォーマンスの融合。僕の中には日々「生きろ」を書くことでひとつの物語を作っていく感覚があります。
■なぜ「生きろ」?
最初に「生きろ」という言葉が登場したのはゴッホに宛てた手紙という形式の日記の中でした。自分を励ますために書いた「生きろ」。そして、ギャラリーでパフォーマンスをしていた時に無意識に「生きろ」と壁や床に書いたことがあった。それを見た観客の反応もあり、いつしか「生きろ」の表現としての可能性を感じるようになったんです。
■毎日書くの?
毎日書いてます。特別なこととは思ってません。誰にでも出来ること、でも皆があまりやらないことをやっているのだと思います。「生きろ」と書くことは祈りにもどこか似ている。毎日が違う日であるように、今までに書かれた「生きろ」の文字も全て同じではない。いつか今まで書いてきた「生きろ」を広い会場に広げ、そこで「生きろ」と書いてみたいですね。
阪神淡路大震災後に西宮中央商店街で「生きろの森」を作りました。私が鈴木さんに「これだ」と思って声をかけて。船坂の竹と西宮神社の竹で森をつくり、行き交う人に「生きろ」と書いてもらって吊るしました。それぞれの「生きろ」があったと思います。私も胸に強く残っています。(武地)
◻プロフィール
1996年から「生きろ」という文字を世界中で描くプロジェクトを開始。その後、国内外で作品を発表。2006年ISCP(ニューヨーク)、2007年クンストラーハウス・ベタニエン(ベルリン)にて滞在制作。「生きろの人」と呼ばれている。武庫川女子大学講師。宝塚在住。
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