「野ざらし」について考える~私たちはいかに死ぬか(193号)
松尾芭蕉に『野ざらし紀行』という紀行文がある。江戸を出発し、伊勢や伊賀、大和などを旅する芭蕉がなぜその紀行文のタイトルに「野ざらし」という言葉を選んだのか。この点について宗教学者の山折哲雄は、旅の途上で行き倒れて誰にも発見されず白骨となることも厭わないという芭蕉の旅に対する強い覚悟を読み取る(『髑髏となってもかまわない』新潮選書、2012年)。遺体が風雨にさらされ白骨となることが「野ざらし」である。
さて、話は白骨から落ち葉に飛躍する。秋から冬にかけて落ち葉を掃く風景が見られる。まちをきれいにするその姿勢に対して私は敬意を払う。しかしその反面、複雑な気持ちにもなる。集めた落ち葉はビニール袋に詰められ、そしてパッカー車によって運ばれて可燃ゴミとして焼却となるケースが多い。果たしてこれでよいのか。そうした疑念を私はずっと持ち続けてきた。
若い頃、武蔵野に残る農村を歩いていて、感心したことがある。各家屋の裏手には雑木林があるのだが、その落ち葉を集めて良質な堆肥をつくり、畑に投入するのだ。武蔵野の農家の人びとはそのようにしてサツマイモや小麦などを持続的に栽培してきた。江戸時代より続くこの在来農法は近年評価の機運が高まり、2023年には「武蔵野の落ち葉堆肥農法」としてFAO(国連食糧農業機関)によって世界農業遺産に認定されている。
私にはこうした武蔵野に見られる循環型農業と「野ざらし」とが重なっているように思える。行き倒れとなった遺体は次第に分解されて土に還るプロセスのなかで、他の生物や植物の肥やしとなるだろう。あるいは鳥や獣のエサになるかもしれない。これを残酷とみるか、それとも生態系のネットワークにおけるうるわしい物質循環とみるかが問題となる。
現在、私たちが死んだら遺体は火葬とされ、遺骨は骨壺に入れられ、さらにその骨壺は墓石の下のカロートと呼ばれるコンクリートや石でつくられた頑強なスペースに納められる。土葬の時代と違って遺体は土に還りたくても還れない状況にある。これでよいのだろうか。芭蕉ではないが私も「野ざらし」になってもかまわない、否、「野ざらし」になることこそ理想的な死に方ではないかと思ったりもするのである。
(文:岡本 マサヒロ)