地域の歴史② 灘の下り酒物語(194号)
日本酒造りの聖地・灘五郷「灘の下り酒物語」が10月29日から11月5日にかけて神戸と東京で開催されました。
灘五郷は江戸時代、六甲山からの自然の恵みを生かした技術革新により、現代の酒造りの礎を築き、日本一の銘醸地として名を馳せるようになりました。特に、樽廻船で運ばれた日本酒は「下り酒(※)」と呼ばれ、江戸で人気を博したのです。
(※)天皇がお住いの京都(関西)からの品は全国に向けて「下りもの」と言った。
●灘五郷から江戸までお酒を運んだ樽廻船を再現!
▼出発:
10月29日➡神戸ハーバーランド高浜岸壁から、風の力で神戸から東京まで日本酒を運ぶ現代版樽廻船の船出です。灘の蔵元「酒造り唄保存会」が合同で合唱し、昔さながらに馬が曳く大八車で日本酒が運搬されました。
▲到着:
11月5日➡東京竹芝に到着。東京竹芝の港に、江戸時代の「灘の下り酒」樽廻船を模したヨット帆船サザンクロス号が一週間かけて無事入港。そして樽酒が陸揚げされました。
主催者である灘五郷酒造組合の他、、酒問屋の守護神である新川大明神の総代や、大阪国税局、神戸市、西宮市からも関係者が参集し、鏡開き。
「〝灘五郷〟とは、西から、西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の5つの地域のことで、日本一の酒産地です。江戸時代、陸路よりも鮮度の良い日本酒を海路で届け、江戸市民から〝下りもの〟として人気を博しました。
当時の江戸は地方の様々な産物が港から新川などの河川が物流網として活用され、日本酒も運ばれたのです。酒造りの製造技術や運搬は文明の利器で進化発展しましたが、造り手と卸問屋、お客様のこの三方よしのご縁と文化は脈々と変わりません。2025年は大阪万博、関東からもぜひ灘五郷のある街へ来ていただきたい。」と灘五郷酒造組合副理事長として、大関㈱社長の長部訓子さんが挨拶。
その後、参加された市民のみなさんと乾杯し、灘の酒に舌鼓を打ちました。
今も日本酒生産量日本一を誇る灘五郷の歴史や酒造りを世界に、そして次世代に伝え、「我が町を誇りに」してそれぞれと飲み交わしたいものですね。
観光庁「観光再始動事業」採択事業