ともも人物図 【アコーディオン奏者 ゆうこ】ロシアのアコーディオン演奏に魅せられて(173号)
日本では、アコーディオンは伴奏楽器としての文化を軸として歴史を重ねていますが、実は様々な奏法で表現できる魅力的な楽器なのです。その魅力を伝えようと13㎏もあるアコーディオンを抱え演奏活動を続けているゆうこさん。その見事な演奏に意識が変わった人も多いはずなのです。
■ゆうこさんにとってアコーディオンとは?
この楽器は小学校でよく使われていましたから、みなさんご存じですが、正しくその奥深さを知らないままに歴史が重ねられていることが残念で寂しくてなりません。知ってほしいと、この10年約400回のライブを開きファンを増やしてきました。ソロ演奏として成立するということ、個性が奏者によってとても違うということなど、本当に理解して頂くには相当難しいと感じます。しかし、努力をおしまず身体を保ち、どのような楽器も優劣なく表現できるということを伝えていきたいです。
■ロシアで出会った?
43歳のときにモスクワの地下通路で老人がアコーディオンでラフマニノフを弾いていました。観客に媚びるわけでなく坦々と奏でる。ピアノ奏者としては、アコーディオンでのその演奏に衝撃を受けました。素晴らしかった。彼が弾いていた曲の中でとても美しい小曲があり、自分で弾きたくなりました。
■3年間の指導を受けた!
それはエストニアの「小さな子どもの歌」という曲でした。それが弾けるようになりたくて、指導を請うたのですが、8人の先生に断られて9人目でやっと。アコーディオンは男の楽器であること、40歳すぎてからでは無理だとの理由でした。音大卒で基礎があること、身長が160㎝以上あることで教えてくださることになったのですが、その指導は3ヵ月もの間、左手のボタンのドの位置がどんな姿勢からでも正確に押さえられるように訓練するものでした。
私は、その曲が弾ければ良いというものでしたので、帰国が迫るかもしれないし、プロになる訳ではないと並べたてて、早く一曲小さな曲でもレッスンしてほしいと懇願しました。
すると、師のミハイルは、「ゆうこは何を言っているのか分からない。プロになりたいとか、アマチュアでいいとか、そんな想いは私には関係ない。アコーディオンをきちんと弾けるように身体に覚えさせることが私の仕事だ」と言われたのです。自分のあさましさに気づき、ロシア人のアコーディオンに対する敬意に伴う猛特訓ついていくことになりました。
■世界基準が日本と違う?
アコーディオンはどの国でもとても大切にされています。フランスなら愛の表現者、イタリアは太陽のような歓喜を歌い上げる。ドイツは地に足が付いた空気感。ロシアはクラシックの奏法を基本に「美しさ」と「ドラマ」を求められます。各国とも音楽大学にはアコーディオン学科があり、その奏法も研究されています。ピアノと違い叩くのではなく、身体の左右が其々に違った奏法で、楽器の呼吸がそれをまとめ上げるような複雑なものです。
■サロンコンサートにこだわっていますね。
大きなステージではアコーディオンの基本的な特徴や空気感などを理解していただけません。風(空気)の力で音が出るということを共感して頂くところから始めたいと思いサロンにこだわっています。師のミハイルが「日本のアコーディオン演奏はどんなものか」と言われ、日本に2回お呼びしました。その国の自然や文化に似合った表現があり、その国で奏でてこそ魅力が発揮されます。日本は繊細で情緒に訴えるようなものだと思います。
■前夫の村下孝蔵さんに向けて?
私は昭和20年の原爆で無になった地に、心を取り戻させようと創立された音楽学校を2校卒業しています。その広島で歌を懸命に作って歌っていた彼と出会い結婚しました。ピアノを教えながら二人で極貧生活を送り、諦めかけたときに「ゆうこ」がヒット。しかし彼の死…。
愛し、激怒し、絶望し、悲しみ、再生…。こうして舞台に立つことによって、彼の意思をささやかですが継ぎたいと思います。音楽で心の隙間を埋める、心を優しくするということでしょうか。(聞き手 武地)
◻プロフィール
1955年生まれ、広島市出身、芦屋市在住。広島音楽高等学校器楽科ピアノ科卒、エリザベート音楽大学器楽科ピアノ専攻卒。前夫はシンガーソングライターの村下孝蔵(故人)。アコーディオニストミハエル・チューブにモスクワにて2年6ヵ月師事、2004年よりソロ演奏家として活動開始。ロシアの古典を中心に哀愁のある音色が定評。父は日本画家の船田玉樹。マトリョーシカのコレクタ-でも有名。